御殿場市で暮らす会社員、時々一箱古本市の主催者である榊翆簾堂番頭さんによるおいしいものコラムの4回目、今回は番頭さんは関西へ思いを馳せます。
去年の夏は寂しかった。
甲子園の猛烈に暑いスタンドで飲むビールは最高である。私にとって「夏の高校野球がビールだ」と言っても過言ではない。とはいえ、唐揚げや餃子がヤツのかけがえのない友であることは否めない。しかし、あの雲湧き光溢れる銀傘のもとで、心の底から欲して止まないのは、ヤツを置いて他にないのである。注1
テレビで観戦しながら飲むのも良いが、それでは、球児たちの熱闘が唐揚げや餃子と同列になってしまいそうで、何処か後ろめたいものがあるのだ。
なぜなら、あの満員のアルプススタンドでは、ブラスバンドも応援団も闘っている。夏の甲子園では、応援もまた体力の限界に挑むスポーツなのだ。だから爽快感と共に喉を潤しながら心を奮い立たせてくれるヤツが必要なのだ。
わかるだろうか。
しかし、これは大きな声では言えないが、私はヤツが嫌いだった。
思い起こせば、子供の頃から炭酸が苦手だった。
友達が皆コーラだファンタだと喜んでいた昭和の頃、私はチェリオでさえ飲めなかった。初めて飲めるようになった炭酸飲料は、マウンテンデューである。
なぜかというと、当時そのCMに小川範子がでていたからだ。知っているだろうか、小川範子。
TVドラマ「はぐれ刑事純情派」に、藤田まこと演じる安浦刑事の娘役で出ていた。私は写真集も持っている。注2
こうして、なんとか炭酸は克服したが、まだヤツとは一線を画していた。
学生の頃には、ヤツを一気に飲むことがカッコいいとされたこともあるが、そんなことをするのが嫌で、溢れるほどに注がれたヤツを、ジョッキごとテーブルの上にぶちまけてしまったこともある。
引くよねぇ。
そして、社会人になった頃、ついにアレが発売された。「スーパードライ」である。爆発的な人気で世の中を席巻した。変えていってしまった。
同じ頃、ひっそりとハートランドも生まれていたのだけど、それを知るのはずっと後のことであった。あの時知っていたら、遠回りせずにすんだかもしれない。私は、スーパードライの登場で子供の頃の炭酸飲料を思い出し、ただただヤツとは距離を置き、日本酒は大人の嗜みとばかりに、蕎麦屋で一献。
それが粋だと自己陶酔していた。
ところが、意外と単純なところに道はあった。
林檎畑の木の下の、おのずからなる細道なのだ。注3
1980年代、世の中はビールの泡の中で浮かれていた。ビールの種類も増え、バドワイザーやハイネケンなどの舶来ビールをよく目にするようになり、刹那的な享楽に耽っていた。ところが、その泡は突然消えてしまった。1990年代初めには酒税法が改正され、地ビールが登場した。
群雄割拠する戦国時代の到来だ。
そして私は出会ってしまった。信州・黒姫高原の「信濃ブルワリー」で。
彼女は、寡黙でありながら深みがあり、今までに出会った単純なアルコール飲料とは違い、バラエティに富んだ味わいであった。私は一遍で恋に落ちた。注4
遅い初恋である。が、晩生なる長き心になほしかずけり、である。注5
ハートランドを知ったのもこの頃である。地ビールの延長線上で好きになった。ハートランドしか飲まなかった時期もある。今でも少々苦手なのがスーパードライだ。
私の甲子園デビューも遅かった。
高校生の夏は、部活動は何もしていなかった。図書室で司書さんにアイスをもい、本を読んでいた。大学生の夏はコミケの列に並んでいた。クソ暑かったが、ビールはなかったと思う。
私が初めて甲子園で高校野球を観戦したのは、2015年の100年記念大会だ。1915年の第一回大会の優勝校である鳥羽高校(当時の京都ニ中)と岡山学芸館の試合だった。
16番ゲートをくぐり通路を抜けると溢れる光。
空は青く、みどり鮮やかに、銀傘の上には、白い入道雲が湧き上がる。
歓声も応援の声もこだまのようだ。
試合は大詰めの9回表。学芸館の攻撃だ。
スーツを着たサラリーマンが、ネクタイを緩め弁当を食べている。
レフトスタンド中段に座り、飲む。「鮮度直送!スーパードライ」。
気持ちよかった。
ところで、いつも思うことなのだが、
激しい戦闘の行われている甲子園ではスーパードライばかりがやってきて、キリンはいつまで経ってもやってこない。それが当たり前だと思っていた。
西日本は朝日麦酒だ。
でも、ちょっと寂しい。あたりを見回すと遠くにキリンは見えるのだが、いつも一人ぼっちだ。そして、待ちきれない私は、いつかきっとキリンが来ると信じながら、何度も何度もスーパードライを飲む。何度も、何度も…。
今では懐かしい思い出だ。
今年こそ、またあの灼熱のスタンドで白球を追いながらヤツと語り合いたい。
注1 夏の甲子園のテーマ曲「ああ栄冠は君に輝く」の歌詞の最初の一節。作詞は加賀大介。しかし、昭和43年の第50回大会で、本当の作詞者を公表するまでは、作詞は加賀道子であった。100回記念大会の行われた平成30年に公開された映画『ああ栄冠は君に輝く』はこの2人の実話に基づいたドラマである。
注2 小川範子。マウンテンデューのCMの頃は本名(?)の谷本重美だった。結婚して吉田重美となった。旦那さんは吉田秋生。漫画『櫻の園』や『海街daiary』の吉田秋生(よしだあきみ)――私は、『十三夜荘奇譚』や『死亡お遊戯』などの短篇が好きだ…ではなく、TBSのテレビドラマ演出家の吉田秋生(よしだあきお)の方だ。小川範子が主演した『魔夏少女』も手がけている。1980年代に手掛けた、『うちの子にかぎって…』はかなりハマったドラマで、第二シーズンの9話は今でも記憶に残っている。
胸の奥に沈み込み、忘れてしまった約束。単なる夢オチではないファンタジックな作品であった。この作品でミステリアスな転校生を演じた磯崎亜紀子は、その後、超C級映画『地球防衛少女イコちゃん』で、お茶目なヒロインを演じている。この監督は、壇蜜主演で『地球防衛未亡人』と言う作品も撮っている。希少価値の高い唯一無二の監督である。
注3 「まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/前にさしたる花櫛の/花ある君と思ひけり」ではじまる、島崎藤村の詩「初恋」である。
まさに林檎の里信州で、信濃地ビールに恋をした。
注4 信濃ブルワリーは1996年(平成8年)11月 北信濃 黒姫山の麓に誕生した。
隣接するパブでビールを飲むことができた。
残念ながら、2010年9月末で信濃ブルワリーとチェストナッツパブは休業しました。
その後、麻原酒造の傘下に入り、2012年11月から麻原酒造の黒姫ブルワリーとして再出発しました。今は、埼玉県の越生ブルワリーに醸造設備を全て移しています。
注5 少し遅咲きの萩の花を歌ったとされる。万葉集。
写真と文 榊翆簾堂番頭
普段は平凡な会社員。時々、一箱古本市の主催者の一人。出店するときは、あまやかんと名乗り正体を隠している。マンガ読むのが好きで、映画見るのが好きで、食べることはもっと好き。