PiLOT WEDDINGのアトリエから( 5 )「1997年」

Photo by PiLOT

沼津市でフリーウエディングプロデューサーをしている秋山ヤスミさんによるコラム第5回、今回は少しタイムスリップの旅です。


夫婦で古着屋を始めたのは1997年。 

世の中はスニーカーブームの真っ只中。

古着の倉庫に入りながら、新作やビンテージのスニーカーを求めてロサンゼルスの北から南、スニーカーショップを駆けずり回ってお宝を探していた。 
80年代のスニーカーや手に入らない復刻。次から次に出される新作。NIKEはカラー別注を追いかけるのが大変だったし、VANSは珍しい生地デザインを見つけるのが楽しかった。

時代が進んだ今では考えられないけど、Googleがないこの頃は、紙の地図をいつも広げて“勘”で動き回っていた。
情報もショップ店員との会話や、バイヤーたちの噂話からヒントをもらったり、とにかく見つけたモン勝ち早い者勝ちの世界。そんなスニーカーバイヤーは朝も早かった。

月一で開催される古着の聖地、ローズボウルのフリーマーケットはレア物の激戦区。なんとなんとの開園は朝6時から(8時までは入場料が12ドル!高!)
多くの日本人バイヤー達と一緒に並んで、朝6時の開園と共にスニーカーのベンダー目掛けてダッシュする光景は、夜明けの暗闇の中を飛ぶ猛禽類よろしくなシーンとして記憶に焼き付いている。バイヤーの腕を上げるとベンダーと仲良くなって、搬入の車に忍び込ませてもらい開園前の会場に入り込む、その時刻ズバリ朝の4時!という技まで磨かれる。

カリフォルニアの砂漠気候は、とにかく朝は冷えこむのと暗いので、カイロとヘッドライトは必須で、そして皆無口だった。
ご来光狙いの富士登山者と変わらない姿だけども、ひとつ違うのはリュックではなく、買った靴古着を入れ込んでいく大きなカートを代わりに引いていた。ベンダーがぶちまけたスニーカーの山から、黙々と生産国年代サイズをチェックして、値段を聞いて値引き交渉。合意して現金を払って次のベンダーへ。
ひたすらその繰り返し。
空が明るくなり、気温が上がって上着を1枚脱ぐころには、静かな戦いの1ラウンドは終わっていた。

8時からは地元住民や観光客も入り、先程の雰囲気とはガラリと変化して華やかなフリマへと姿を変える。厳しい目をしたバイヤー達も穏やかに店先で立ち話をし始めたり、荷物を置いて屋台のレモネードで喉を潤し始める時間がやってきた。
戦いの後の私達夫婦の楽しみは、仲良しベンダーの店の奥でモーニングをいただくことだった。

いつもお世話になっていたのはタイ人のマダム達が開いていた古着ブース。
手招きのまま奥に呼ばれて席に着くと、ココナッツの香り漂う大根の温かいスープとタイライスがプレートで目の前に差し出される。
冷えた身体が瞬く間に温まる!
頬張っている横からバジルと挽肉を炒めたモノがスプーンで盛られながら、 
「ヒロは怠け者だからこんだけよ!」
なんて笑いながらたっぷりと盛られるご飯に愛情を感じていた。本当に良く笑う人たちだった。
今日の成果や日本の流行、この頃はタイにも年一で出掛けていたので、タイの情勢なんやかんやマダム達とのお喋りは本当に楽しかった。
きっと、今の私のアメリカンお節介オバサンスタイルは彼女たちから受け継いだモノなんだろう。人が良くて、明るくて、そしてお節介なところを今でも尊敬している。

眩しい日差しが真上にやってくると、そろそろ移動の時間です。
次の目的地、メルローズのフリマは、本格的なプロがあまり入り込まない、高校の駐車場を使ったローカルなこじんまりとしたフリマです。ポスターやお洒落なインテリアが見つかるのも楽しくて、私1番のお気に入りのフリマ。
お洒落なエリアでもあるからさらにヤバいスニーカーも出る穴場です。

山になったカートを押しながら、なじみのベンダーやバイヤーさん達と挨拶を交わしてローズボウルを後にして、バンのハッチバックを開けて荷物を詰め込んだら出発です。
日曜日はダウンタウンの渋滞もなくスムーズに移動できることが何よりだ。もう気温も30℃近く、ジリジリと日差しも熱くなってきました。時間はまだ昼を越えてません。

今日も長い一日になりそうな予感に、ちょっと肩を落としながらも、自分が今カリフォルニアにいる現実に心躍らせてる20代の私がいました。


PiLOT ordermaid wedding 秋山ヤスミ
小さな結婚式プロデュースとアメリカヴィンテージウェディングドレスレンタル
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