牧水になりたくて( 1 )「八角池で増誉上人とごあいさつ」

はじめましてこんにちは。この度コラムを書かせていただくことになりました、sioです。

お話をいただいてから、テーマは何にしよう、うーん……と猛烈に悩みましたが、私の原点ともいうべき、歴史や史跡といった面から、さらに平成生まれの沼津人としての記憶を織り交ぜながら、静岡東部を掘り下げていきたいと思いますので、末永くよろしくお願いいたします。

初回なので、きっとこのサイトをご覧になっている方なら、だれもが知っている千本浜から。

千本浜の駐車場の入り口、少し手前の右側に目を向けると、ひと際目立つ石畳の広場がありますね。

八角池というやつです。昔は、子どもが目前の海に入らず、池でポチャポチャ遊んでいる様子なんかが見受けられました。(※ 本当は入ってはいけません)

八角池。いつからか水がなくなってた。

それを傍から、しかも高いところから見下ろしている坊主のおじさんがいますね。あの方は「増誉(ぞうよ)上人」といいます。一説によると、戦国時代、武田氏と北条氏が争った際に、邪魔だからと海岸の松を斬りまくったもんだから、地元に住む人々は大層潮風や風害に苦しんだそうです。

そんな人々を見かねて、松の苗を植えていったのがこの「増誉上人」。発想も所業も、まさに僧侶の極み。ちなみに彼は「一本植えては南無阿弥陀仏」と呟きながら松を植えていったそうで、私たちが中学生のときは、周囲で流行語になったもんです。子供ってそういうの好きだよね、と書こうとして、いまだにこのワードで盛り上がるときがあるのを思い出してしまいました。精神が中学生で止まっている。いまだに「○○の呼吸!」とか言って遊んでますよ。

増誉上人像

この増誉上人、元は山城国(現在の京都府)出身で、全国行脚の途中で沼津の千本浜にたどり着き、苦しむ民を放っておけず松林を作り、そのお礼にと人々から草庵をプレゼントしてもらい、それが今の乗運寺になり、開山の祖となった。そこまでは分かる。

彼の全国行脚がどこまで達成されていたかは分からないけど、京都から沼津までたどり着いて、一大事業を成して、そのあと別天地へ行こうとは思わなかったんだろうか。

きっと海のないところで育っただろうから、「なんやここ、松林植えたらえらい風光明媚やん。霊峰の富士はドデカく見えるし、海もええなぁ。みんな好いてくれてるし、もうこの先行くのええわー。ここに住んで教化活動したろ」ってなったのかな。今では想像できないくらい方言に差があった中、海の音が聞こえる町で、仏の言葉を伝えるって面白い生き方で、なんだかロックさすら感じる。

これからも散歩がてら増誉上人に会いにいくたび、増誉上人ソウルを思い出しては、頭の中で「一本植えては南無阿弥陀仏」の声が響くんだろうなぁ。それくらい、魂に刻まれているワードです。

今立っている像は二代目です。建立式になぜか立ち会いました。ご縁を感じる。
増誉上人像の目線から。グッドタイミングで東海バスが通る。

文・写真 sio

歴史を学びに京都へ行ってお酒を覚えて帰ってきた沼津人。
おいしいコーヒーと熱めのサウナが好き。
マイブームは霜降り明星のラジオを聴くこと。
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